坂本龍馬 愛の伝言幹に刻む
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武信稲荷神社は貞観元年(859年)に創祀されて以来約千百年を経て現在に至ります。その長い間にはさまざまな話しが伝わっています。そのうちの一つが江戸時代末期の坂本龍馬とおりょうの逸話です。
神社の南には江戸時代、幕府直轄の六角獄舎という牢獄があり幕末、勤王の志士が多数収容されていた。その中に
坂本龍馬の妻おりょうの父である楢崎将作(ならさきしょうさく)が勤王家の医師であったため捕らえられていた。
おりょうは父の身を案じ龍馬と共に何度か訪れるが、当時女性が牢獄へ面会できることもなく龍馬自身も狙われる身であり面会はかなわない。その為、神社の大木の上から様子を探ったという。
その後命を狙われ追われる龍馬は身を隠し二人は離れることとなる。おりょうは龍馬の身を案じ行方を捜していた。そんなおり二人で何度も訪れた武信稲荷神社の榎をふと思い出し訪れた。するとそこには龍馬独特の字で『龍』の字が彫ってあったという。
自分は今も生きている。そして京都にいるのだ。そういう龍馬からの伝言であった。
龍馬が京都にいることを知ったおりょうは二人の共通の知人を訪ね、それにより二人は再び出会えたという。
龍馬とおりょうの出合いに関しては諸説ある。また英雄坂本龍馬を題材にした小説などももっとも有名な司馬遼太郎氏「竜馬がゆく」をはじめたくさんあり、その中での二人の出会いもさまざまである。
龍馬とおりょうの出合いは父楢崎将作の死後という説もあり、将作は安政の大獄により六角獄舎に投獄されそのまま獄中で病死している。将作の死後に一家が生活に困りおりょうは一家を養うために旅館で働くようになりそのころに龍馬と出会ったというものである。
一方、龍馬研究家であり幕末の歴史研究家の方は、将作は勤皇の志士を厚く支援しており、柳馬場三条にあった屋敷には勤皇の志士が絶えず出入りしていたという。龍馬もそんな将作と親交ができ、その長女であるおりょうと出会った。と結論つける。
この大木に伝わる逸話と一致する。
この話しに登場する御神木の榎(えのき)は樹齢約850年。その生命力から健康長寿の信仰が厚い。また榎は「縁の木(えんのき)」とも読まれ、御神木の榎に宿る弁財天を祀る末社の「宮姫社」は縁結び、恋愛の神としても知られる。毎日その力をいただきたいと木の幹に手をあてる参拝者も多い。
龍馬とおりょうもそんな縁結びの力を授かった二人である。
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龍馬とおりょうの伝言
150年前には坂本龍馬がおりょうに宛てて伝言を刻んでいますが、御神木ですので現在は直接幹に伝言を刻むことはもちろんできません。
二人にあやかって愛の伝言、縁結び、夫婦円満、他にもエノキの生命力健康長寿、英雄龍馬にあやかる必勝、開運、諸願成就など伝言を残す場合は絵馬に書いて奉納してください。
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縁結び・夫婦円満 絵馬
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龍馬にあやかる 諸願成就 絵馬
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縁結びお守り
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