境内末社
宮姫社
御神木の榎に宿る弁財天が祀られている。樹齢850年・平安時代末期、平重盛(たいらのしげもり)公が安芸宮島厳島神社から苗木を移したと伝えられています。京都市の天然記念物に指定されている旧京都内最大最古の霊樹であります。
樹齢八百年を越えるその生命力とエネルギーが健康と長寿の神として厚く信仰されており、御神木に手をあてて、その御力を頂く参拝者は後を絶ちません。
また榎は「えんの木(縁の木)」ともよまれ、宮姫社は縁結び、恋愛の神としても知られている。昔は縁の木の下で、ということで当神社でお見合いの席が多くもたれていた。
江戸時代には社の南に幕府直轄の六角獄舎があり、『坂本龍馬』の妻『おりょう』の父が勤王家の医師であったため捕らえられていた。様子を見にきた『龍馬』は、後に訪ねてくるであろう『おりょう』への伝言に榎の幹に「龍」の字を書き残したという逸話が残っています。後に再会をはたした二人も縁の木の力を頂いたことでしょう。
龍馬とおりょうの逸話
伏見遙拝所
伏見の御山を遙拝できます
南末社三社
・白清大明神
・七石大明神
・太郎松大明神
釘抜き大明神
昔、神社近くに住んでいた鍛冶屋の主人が病気や災難が多く苦しんでいたが、信稲荷大神に祈りながら鉄を打っていたところ釘抜の形になったのでここにお祀りした。すると鍛冶屋一家は主人の病気、災難はなくなり幸運に恵まれた。自分の体の病苦のあるところをさすり、釘抜さんを撫でると病苦を抜き去り治していただけます。
北末社二社
・天満宮
・金毘羅宮
白蛇社(弁財天)
古くからこの土地におられた白蛇のお姿の弁天さんが信仰の厚い行者に「人々を守護するために世に出る」とお告げし、有志の人々の奉仕によりお祀りされたお社です。
あるとき信仰の厚い行者の夢に白蛇の姿をした弁天さんが立ち「人々を守護するために世に出る。境内十三の社となる神社に祀り厚く信仰せよ」とお告げがあった。これを受けた行者が夢でみた景色と同じ境内十三の社となる神社を探し、見つかったのが武信稲荷神社であった。この土地は昔から白蛇が度々あらわれていた場所でもあり、ここが祀るべき処と確信した行者と有志の人々の奉仕によりお祀りされました。企業商売の繁栄、技術技芸の上達、また金運上昇に大きなお力を授けていただけます。
起上大明神(大黒社)
七福神で有名な大黒様をお祀りしています。本来は日本の御祭神は大国主命(おおくにぬし)ですが、大黒=大国(どちらもだいこく)のため同一視されます。
起上大黒の名前通り、起き上がる、飛躍していく、躓いても起き上がると、発展、飛躍、事業仕事運、財運向上等の御利益を授けて頂けます。参拝者、近隣の人々からは「だいこくさん」と親しまれています。
御塚
法華経の御塚です
武春大明神
御本社裏座にお祀りされています。
御神木から現れた龍
当神社の榎(えのき)は樹齢約八五〇年、辯財天が宿る御神木である。平成25年8月、一部が空洞化した枝が折れ落下したが、チェンソーアート世界チャンピオン城所ケイジ氏によって龍の姿に生まれ変わった。
折れた枝は長さ十数メートル、太さは1.5メートル以上あった。折れ口は本殿の真上からやや南にあたる。折れた枝とはいえ御神木であり簡単に処分することはできず、またその枝はあまりにも隆々と力強く神々しさがあった。そこで神の榎の力強い姿を多くの人に見てもらえるようチェンソーアートとして残すこととした。(チェンソーアートとはチェンソーだけでつくる彫刻)
神社からは具体的に何を制作するかは決めずに、この枝に宿る神の質(御霊)を引き出すようにしてもらいたいと依頼。城所氏は枝を見た瞬間に内に潜む龍の姿を感じたという。そして木肌、質感等できる限り元の状態を残して仕上げた。
そのため彫刻されているのは龍の正面から向かって左面だけである。しかし彫刻されていない右面もじっと見ていると龍の目や口、力強くうねる体がはっきりと現れているのがわかる。
龍の腹部にある炎のような印は稲荷神社の神紋だが、この神紋はチェンソーで作ったわけではなく、この形が“もともとそこあった”ものである。そこに少し飾りをつけたものなのだが、それからもこの龍が神の枝から現れたことがよくわかる。
また江戸末期、坂本龍馬が妻おりょうに自分の無事を知らせるためにこの榎にふたりの名前に共通する「龍」という字を伝言に書き残したという逸話が残る。この「龍」の字はいまはもう見つけることはできないが、「龍」の字があった木の枝から龍が現れたことは縁の木が持つ何かを感じさせられる。